「怪獣映画」の子供
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「大仏廻国」海外長尺版に「大怪獣ガメラ」(1965)で少年俊夫を演じた内田喜郎さんが出演なさるようだが、先日「自主怪獣映画選手権 東京大会」に登場した作品中で「大怪獣空中戦 ガメラ対ギャオス」(1967)の少年パロディをやっていたのを思い出した。
「ガメラ対ギャオス」の少年といえば、村長の孫と言うだけの小学生が何故か自衛隊の怪獣対策本部に参加し、追い出されるどころか「ギャオって鳴くからギャオスだよ」と突然怪獣の名付け親になってしまうという有名なシーンなのだが、この出しゃばりガキの元祖が「大怪獣ガメラ」の少年俊夫である。
北海道に上陸したガメラをアメリカ軍が核攻撃しようとする寸前に、ガメラは自分がペットとして飼っていたゼニガメの化身と信じていた思い込みの激しい俊夫が博士に抗議しただけで核攻撃が中止になるというトンデモ展開になっている。
「シン・ゴジラ」で、アメリカが東京を核攻撃しないように大勢の大人たちが知恵と行動で別のゴジラ封印作戦を決行するのとは大違い。
こうした昭和ガメラの出しゃばりガキの存在は「子供を大人同様に活躍させ子どもの観客を喜ばそうとする安易な子供だまし」に見えるので、「ウルトラマン」のホシノ少年ともども、当時の観客だった子どもたちにも賛否が別れた存在だったと思う。
「自主怪獣映画」参加作品の中では、「お前のような奴がいるから怪獣映画がダメになるんだ!」と大人が出しゃばりガキを殴ると言う「子供だまし否定論調」をギャグとして描いていたのだが、本当に彼ら出しゃばりガキは「怪獣映画にとって不要な存在だったのだろうか?」と言う疑問が残る。
「鉄人28号」の正太郎が小学生くらいなのに拳銃を持っていたり…と、昔は子供が主人公設定になっていて大人と同じように活躍する漫画発想はあったわけで、怪獣映画でのこの手の子供キャラがどこか浮いて見えるのは「子供が主人公」設定に徹しきれていなかったからだと思う。
実際「ウルトラQ」の「カネゴンの繭」など、子供メインでドラマが作られていてもちゃんと成立していた話もなかったわけではないが、怪獣映画でのストーリーは本郷功次郎さんのような大人が主役として動かしている中で、突如として古い少年漫画のような子供キャラがしゃしゃり出てくるから不自然に見えてしまうわけで、その辺の半端さを避け、きちんと子供が主役の映画として作られたのが「小さき勇者たち ガメラ」(2006)だったのではないかと思う。
ただこの「小さき勇者たち ガメラ」や「昭和モスラ三部作」といった子供主人公の怪獣映画が必ずしも大歓迎されたとは言いにくいような気がする反面、「学校の怪談」や一部アニメシリーズなど子供向け映画自体の需要がなくなったとも思えず、結局、平成の怪獣映画での「子供向け要素」は、大人になったかつての怪獣少年たちからはあまり喜ばれなくなっていたということだけなのかもしれない。
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