怪獣映画は一種のアイドル映画か?
最近、怪獣映画を論ずるのに人間ドラマの出来を云々するのは的外れで、怪獣パートを評価しろよ!‥みたいな意見がSNSなどで散見されるが、そういう見方って「大好きな〇〇さんが出てれば基本オーケーだし、劇中でアクションを披露してくれたり歌ってくれたりしたら、もう最高!」と言う特定のアイドルファンの映画の見方と同じではないかという気がする。
もちろんそういうミーハーな見方というか、「キャラ萌え」みたいな見方は昔からあるし、別におかしな見方とは思わないが、怪獣映画を一種の怪奇映画とかパニック映画、戦闘映画のようなサスペンスドラマとして楽しんでいる人も世の中には少なくないということを忘れているような気がする。
こうした論争は怪獣映画同様、怪奇譚からの枝分かれジャンルであるミステリなど遊戯小説の類などでも古くからあり、短編がメインだった時代のミステリは、人間ドラマは退屈だが奇抜なトリックだけで話を成り立たせる‥と言うパターンがなくもなかったが、長編時代になるとさすがにトリックだけでは話が持たなくなり、人間ドラマ部分でトリックを補いサスペンスを盛り上げる手法が主流になったように感じる。
一時期持て囃された「新本格ミステリ」などが「トリックだけで小説として面白くない」と一部大人のミステリファンから叩かれたのも、長編スタイルだった部分が大きかったと思う。
怪獣ジャンルでも「ウルトラファイト」のような着ぐるみプロレスメインの子供番組や映画の特撮シーンだけをファンが勝手に繋げた映像のようなものは、動画サイトなど比較的短い尺ではそれなりに楽しめても、2時間以上の映画になるとさすがに厳しいのではないか?
長尺の映画として見る場合「特撮アクションパートの羅列だけではだれてしまうので、それを盛り上げるドラマ部分も重要」で、怪獣映画で人間ドラマの不出来を指摘するのは「怪獣シーンも含めた映画全体が何故か面白くないから」出てくるのであり、仮に怪獣パートの羅列だけで十分映画として面白いのなら、そうした不満意見は少数派になると思う。
実際、過去の怪獣映画やTV特撮作品で評価が高い作品は、サスペンスドラマとしても見応えがあることに気づくはずだ。
SNSなどでこうした「アイドル映画のような見方を怪獣映画でしている人」の意見が目立つようになった背景には、おそらく書いている人の子供時代に流行っていたゴジラシリーズが、昭和の懐かし人気キャラの再登場で客を呼ぶような見せ方だったからというのも関係があるような気もする。
当時のゴジラシリーズは対象が未就学児+その親世代(昭和の怪獣ブーム〜チャンピオン祭り世代くらい)だったこともあり、ゴジラを含めた怪獣の登場シーンがやたらと多く、「キャラ萌え」要素が強い半面ドラマが大味…みたいな傾向のものが多かったからだ。
そもそも「ゴジラ映画」のシリーズ化を決定づけたと言われる「キングコング対ゴジラ」(1962)以降の大半の作品は「ゴジラのスター(アイドル)映画」であり、馴染みの怪獣が勢揃いする「和製モンスターバース」みたいだった60年代のゴジラ映画などは「オールスター映画」でもあったわけで、ゴジラファンの一部がゴジラ映画をアイドル映画のように語るのも無理からぬ所かも知れない。
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